笑顔畑プロジェクト

心も身体もしんどい時が続くけど、小さな笑顔を育てよう。 笑顔の畑に元気が実る。 その元気は、明日へ架ける橋になる。  みんなで明日を見に行くために、笑顔の畑を育てよう。

4月の熊本大震災の被害は、5年前を思い出すニュースが
毎日のように流れています。

不思議なもので、ニュースを見ていると
あの時のことが鮮明にフラッシュバックします。

笑顔畑プロジェクトではたくさんの方から支援金、
支援物資をいただきました。

先月、支援物資ダンボール二箱を福岡市に送り、
支援金を私の大切な熊本の仲間に送りました事を報告します。

みなさまの私達への支援をこのような形で
使用させて頂いたことを報告すると共に
どうかお許しくださいますようお願いいたします。

きっとまだまだ時間のかかる復興への道のり。
一日一日が明日へ繋がることを信じて、
まだまだ不安な毎日を送っているであろう熊本の皆様
が少しづつでも気持ちが穏やかになっていきますように
心よりお祈りいたします。

まりちゃんより
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久しぶりの更新です。

「まりこさん!仙台遊びに行きたい!」おりちゃんからの急なメールが来たので先月2人で
あちこち女子小旅行をしてきたよ!

こうやって訪ねてくれることで、震災のことを振り返ることができるって大事ね~としみじみ。。

まずは、4年前震災の時に一緒にコンサートを閖上の朝市で行った
たまごファームの子どもたちに会いに来てくれました!

4年前のコンサートの様子はこちらから
http://ashitaekakeruhashi.blog38.fc2.com/blog-entry-32.html

あれから4年 子どもたちも大きくなったでしょ! おりちゃんは たまごメンバーと一緒にゲームをしてくれました!

おりとたまご

そして、次の日は最初に向かったのは、松島の円通院!

お年ごろの私達にとっては、ここで「恋みくじ」を引くことが目的。。このおみくじには具体的な
相手の血液型や星座が書かれているんです。

そして、縁結びのこけしちゃんに思いを書いて 縁結び観音にしっかりと手を合わせてきました。

さて、そこから東松島の陸前小野駅へ!
そうそう!やっとこ仙石線が開通しましたね。4年かかったけど、本当にうれしい!

ここには、「空の駅」というみんなをつなぐ小さな駅があります。

空の駅

空の駅プロジェクト
http://i-shishi.jp/sagasu/soranoeki.html

ここには、ニュースで見てずっと気になっていた「おのくん」というちょっとミステリアスなぬいぐるみがいます。

仮設住宅に住んでいる方がソックスで作った人形を販売されています。
小さなものから大きなものまで全て1000円!

おのくんいっぱい

私もお気に入りのおのくんをゲット!うちの玄関にシュールにたたずんでいます。

おのちゃん

かわいいピンクのこの子は女の子かな。だからうちの子は おのちゃんにしよう!

仮設住宅には、まだまだ住んでいる人たちがいます。はなしを聞くと、あと2年でこの仮設住宅はなくなってしまうとのこと。
早く家がみつかって新し新居で暮らして欲しい気持ちと、仮設がなくなったら暮らす場所があるのかな~という不安な思いになりました。

仮設住宅の隣には、たくさんの家が新築されています。

住宅

震災後、閑散としている地域が多い中、ここにはまた、新しい人たちが移り住んで町が出来ていくんだろうな~と思うと嬉しくなりました。

次に向かったのは、おりちゃんが行きたかった「石ノ森漫画館」!

石ノ森漫画館

ロボコ~~ン!!まじロボコン世代です!ガチャポンでロビンちゃんが出るまで回したことを思い出しました。

漫画館はなかなかおもしろかったです。2人でゆっくり回って楽しみました。
震災直後の写真も展示されていたのを見ましたが、よくもここまで復興したと思うくらい
当時は大変だった様子がたくさんの写真から分かりました。

おりちゃんが「わたしここのキャラクターの声をやってるんです!」とその声を聞いみると!!
おおおお!おりちゃんがしゃべってるぅ~ 「ここにこの声の本人いますよ~~!!」って自慢したくなりました!

夕日も沈みかけの夕方、日和山公園にのぼって石巻を一望してきました。

日和山公園より

日和山公園より2

閑散とした町は、いつ活気が戻ってくるのか。。。

瓦礫がなくなっても ここで過ごしてきた人たちは戻って来ないのでしょうか。。

さみしい感じもしましたが、いつかきっと戻ることを信じて、また来年も来たいとおもったおりちゃんとの小旅行でした。

オリ、今年も来てくれて本当にありがとう!


顔の丸いまりちゃんより

折笠富美子オフィシャルブログ 「宮城にプチ旅行」ぜひこちらもチェック!
http://blog.livedoor.jp/orikasa_fumiko/archives/52135459.html







渡部です。
先日の土日に両親と一緒に二人故郷に行ってきました。
福島県いわき市です。
私が小学1年生のころに仙台に来たので、
それから毎年、お盆は6号線を通って両親の実家や親戚の家に行っていました。
車酔いする子だったので、道中いかに酔わずにたどり着けるかが、勝負!(笑)
でも6号線で酔った記憶はないんだなぁ~。
起伏緩やかな田んぼの中を走る道。
海が見えるたびに・・『海が見えた!』と大はしゃぎ。
アニメソングをかけて大声で歌ったり・・
トンネルで息継ぎしないで声を出し続けられるか競争をしたり・・
小学校の夏の思い出がいっぱいつまった国道6号線。
きっと、私以上に、父も母も、思い出がいっぱいつまっているはず。

偶然なのか・・必然なのか・・旅行予定の数日前に
6号線が開通しました。
帰還困難区域が条件付きで通れるようになったのです。
その風景を両親に見せない方がいいのかな・・と悩みつつ、
それでも・・通って見ようと思いました。
・・・今を知りたい。

以下富岡町~双葉町間(14.1キロ)の写真です。
バイク・自転車・歩行者禁止。車も窓を閉め、止まらずに通ることが条件です。
走っている車から取ったので、伝えられる写真はあまりありません。
TVのニュースのほうが明確に画像で伝えていますが・・
私の記憶として、載せますね。

南相馬を抜け、小高あたりまでは・・(仙台から南下しています。)
金色の稲穂が揺れ、きっと、説明しないと津波被害があったとは一見分からないぐらいの状況でした。
でも・・こんなところから海はみえなかった。という箇所が多々ありました。
海がこんなにも近かった。

6号線①
浪江に入り、景色ががらっと変わりました。
まるで線引きしたように・・『生活のある場所』と『生活のない場所』

6号線②
田んぼだった場所です。

6号線④
6号線⑥
時間の流れを伝えてくれるのは雑草だけ。
6号線⑧
6号線⑨
6号線⑪
店全体を塞いでいるコンビニもあれば・・
崩れて錆びた缶詰などの商品の隙間からボウボウと草が生えている店もありました。
6号線⑬
静かな・・静かな町です。
6号線⑭
津波でゆがんだ時間はそのままです。
6号線⑱
あの山の向こうで見えない力と闘っている人がいます。
6号線⑳
家々が口を閉ざしているかのようです。
6号線⑮

見てきたことに対して・・何もできないけれど、

『知ろう』と思うこと。
『考えよう』と思うこと。

そして『考えること』。

それが大事なんじゃないかと、思います。

すべてを覆い隠すほど、草が伸びています・・・。
先日、一緒に南三陸に行ったおりちゃんがブログを書いてくれました。

長編ブログですが、彼女の思いがいっぱい詰まっています。

ぜひごらんください。

折笠富美子オフィシャルブログ
http://blog.livedoor.jp/orikasa_fumiko/archives/52043890.html
そして、旅はまだまだ続く~~よ~~♪ど~こま~で~も~♪

私が気になっていたのは、震災直後のニュースで涙が止まらなかった、
最後まで非難の声がけを町内に流して続けた女性の町、南三陸が気になっていました。

自分を犠牲にしてまで町の人に叫び続けた彼女が勤めていた、南三陸防災庁舎。
仙台からは、約2時間かかりました。。

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後から知ったことですが、この庁舎は年内で解体が決まったようです。
悲惨な建物から、、彼女が必死に呼びかけていたという情景が目に浮かぶようなつらい光景でした。

お線香を着ける組み台があり、手を合わせて帰ってきました。

近くの船着場には、

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と町の思いが書かれていました。大きなコンクリートに書かれた文字が傾きながらも
私に何か伝えようとしていました。町の人たちの大切な海だったんだなぁ~。。

そして、次にむかったのここ。

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南三陸さんさん商店街!いあぁ~~ここの仮設復興商店街はとっても活気があったよ!

魚屋さん、肉屋さん、ケーキ屋さん、海苔屋さん、雑貨屋さん、そして食べどころ。。

いまは、「秋のキラキラ丼」フェアーをしていて、おいしい魚介がたんまり乗った
どんぶりを各店舗で提供している。

私の食べたキラキラ丼!

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目からキラキラ星が飛び出してきそうなほどおいしかったよ!

ちょっとボリューミーだったけど、3人とも完食という男前な腹を持っています!

文化祭のような商店街であれこれお買い物をしてめっちゃ楽しんで。。。

その後、この商店街のサポーターの菅原さんという女性から彼女の体験話を聞きました。
「津波の光景を高台にある中学校から見ていました、まるで今起きていることは、
映画のような状況で、大人たちは皆、悲鳴をあげるわけでもなく呆然としていましたよ。
子どもたちには、見せてはいけない光景だと先生たちが配慮してくれていました。」

避難所で絶望的は毎日を過ごし、1週間くらいたった時に、南三陸商店街をしているかまぼこ屋の
リーダーが声をかえてくれたそうです。
「また、やるぞ!またみんなで店つくるぞ!」
な~にもなくなった毎日から、前を向こうと思った時だったそうです。

そこから月一度の商店街が始まったそうです。全国から売るものを寄付してもらったりして
続けたことで、このさんさん商店街では、やっとこ自分たちで生産したものが
売れるようになったそうです。彼女のキラキラした目がこの南三陸のみんなと共通していました。

40分も一生懸命話してくれた菅原さん、、本当にありがとうございました。
また、遊びに行くんで、また、話聞かせてくださいね。

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最後はモアイ像の前でパチリ!

イースター島から送られたモアイ像は、商店街を暖かく見守っていました。

それから石巻の日和山公園に行きました。

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ここに建物があったのかな。。。忘れてしまう光景でした。

なので、ここにあった昔の写真と今の光景を撮ってきました。

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きっと、今被災地を訪れても、、昔がどんな風景が分からないと何がなくなったのか
分からないんだろうな。。。公園には4枚の風景が飾られていました。

そして、最後にむかったのは、こちらの復興商店街

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こちらも地元のおいしい食べ物屋さんや物産店などいろいろお店がありました。
休憩所には、当時の写真がたくさん飾られています。

そして、これはクレープ屋さんの後ろに書かれていました。

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石巻の方々の暖かい思いが伝わってジーンとしました。

「お互いさま」震災にあった人もそうでない人も。。「お互いさま」
やっぱり、今回の旅でもたくさん勇気をもらって帰ってきました。

「何ができる!」ってことではなく、肩肘張らず、忘れない事、そして
今自分が思うことをつづっていくこと。。。伝えること。。。

そんなことしかできないけど、、、そうゆうことなんじゃないかなと  思った二日間でした。

BY:顔の丸いまりちゃん