なかなか笑顔畑プロジェクトの活動ができず、ごめんなさい。
さて、先日石巻に行ってきました!
この季節に毎年私に会いに来てくれるつかさ君。
「僕は何も復興のお手伝いができないけれど、こうやって
宮城県を訪れて、毎年被災地がどう変化しているか見たいんです。
そしてこの土地のおいしいもんをいっぱい食べたいんだ。」

まるで夫婦のようですが、本人たちは、姉と弟と言った感じで気兼ねなく小旅行してきました。
まずは、石巻のこの看板。日和山公園の下の住宅街があったところに立っています。

震災直後から、石巻の市内をずっと見守っていた看板です。
たくさんの季節と月日が流れていても「がんばろう!石巻」は力強くメッセージを伝えてくれていました。
そこには、震災の状況が映像で流れていたり、写真が展示されています。


この鉄の柱は、津波の高さを表したものです。
ここの津波は、6.9メートル。私が見上げましたが、上の文字が見えないほど
高い位置にありました。これは。。。2階だて、3階だての家は、軽く飲み込まれる高さでした。
そして、女川にも行ってきました。
女川は、またさらにな~んにもなくなっていました。

2011年 はじめた訪れた時は、すべてが飲み込まれた、無残な家屋が
軒並みにあった所です。
な~んも、 な~~んも ないです。 な~んもない所に白つめ草が生き生きと育っていました。
そして、
この建物は、まだ撤去されていませんでした。

これは、このまま残すのかな。。。撤去できないのかな。。。。
あのときの胸につきさす、さびしい気持ちがよみがえりました。
さて、今回の旅の目的のひとつにミッション「ホヤ」を探せがありました。
南三陸で天然ホヤが水揚げされたと聞き、いてもたってもいられない
同僚かずちゃんのためになんとしてもゲットしようと、女川住人の方に聞くと。。。
女川のホヤー!!発見しました!養殖であってもれっきとした宮城県のホヤです!
プッリップリ!2年ものだそうで、やっとこ水揚げされたそうです!!
1個250円とちょっとお高いけれど、かずちゃんと実家にお土産に買ってきました!

私は、ホヤが苦手なので、その場で女川で獲れた牡蠣1個100円をその場でペロリ!

うんとね。。。おいしかった~~~!本当においしかった~~よ~~!100円安くない!?
さて、そこから向かったのが、大川小学校。気になっていたんです。
全校生徒7割の生徒74人も流された学校。。私が折り紙のボランティアで行ったときの
おばあちゃんの話がが忘れられなくて。。。「早く山に登れば助かったのに・・・」
おばあちゃんが泣きながら話してくれた、、お孫さんの学校。。
写真には、収められませんでした。たくさんの悲しみがその土地を支配していました。
この学校は沿岸にないんですよ。。川からの逆流の津波。その場所に行って思ったけど、、、
津波が来ると思えない場所でした。
どちらかというと山なんです。海は見えません。危機意識が低かったと
新聞に書いていましたが、この小学校が避難場所と指定されるのも分かる気がします。
そんな場所に、、、思いも寄らない津波が来てしまった。。。
大川小学校の校庭から、キラキラの子供たちの声であふれていたんだろうに。
一瞬でその夢も希望もなくなってしまった・・・その土地で私は言葉も出ませんでした。
そして、最後に訪れたのが「追分温泉」!
震災直後、たった1軒屋のこの温泉にたくさんの被災者が集まったきたそうです。
ほとんど木で作られたここは、とてもぬくもりがある場所でした。

帰りの、車の中でつかさ君が
「まりこさん。来年は、気仙沼に行きましょう!」
ありがとう。つかさ。。また一緒に行こう!君のおかげで私も振り返ることができるよ。
忘れちゃいけないこと、伝えなきゃいけないこと。。
自分のできることを少しづつしていこう・・と思ったまりちゃんでした。
by:顔の丸い まりちゃん
さて、先日石巻に行ってきました!
この季節に毎年私に会いに来てくれるつかさ君。
「僕は何も復興のお手伝いができないけれど、こうやって
宮城県を訪れて、毎年被災地がどう変化しているか見たいんです。
そしてこの土地のおいしいもんをいっぱい食べたいんだ。」

まるで夫婦のようですが、本人たちは、姉と弟と言った感じで気兼ねなく小旅行してきました。
まずは、石巻のこの看板。日和山公園の下の住宅街があったところに立っています。

震災直後から、石巻の市内をずっと見守っていた看板です。
たくさんの季節と月日が流れていても「がんばろう!石巻」は力強くメッセージを伝えてくれていました。
そこには、震災の状況が映像で流れていたり、写真が展示されています。


この鉄の柱は、津波の高さを表したものです。
ここの津波は、6.9メートル。私が見上げましたが、上の文字が見えないほど
高い位置にありました。これは。。。2階だて、3階だての家は、軽く飲み込まれる高さでした。
そして、女川にも行ってきました。
女川は、またさらにな~んにもなくなっていました。

2011年 はじめた訪れた時は、すべてが飲み込まれた、無残な家屋が
軒並みにあった所です。
な~んも、 な~~んも ないです。 な~んもない所に白つめ草が生き生きと育っていました。
そして、
この建物は、まだ撤去されていませんでした。

これは、このまま残すのかな。。。撤去できないのかな。。。。
あのときの胸につきさす、さびしい気持ちがよみがえりました。
さて、今回の旅の目的のひとつにミッション「ホヤ」を探せがありました。
南三陸で天然ホヤが水揚げされたと聞き、いてもたってもいられない
同僚かずちゃんのためになんとしてもゲットしようと、女川住人の方に聞くと。。。
女川のホヤー!!発見しました!養殖であってもれっきとした宮城県のホヤです!
プッリップリ!2年ものだそうで、やっとこ水揚げされたそうです!!
1個250円とちょっとお高いけれど、かずちゃんと実家にお土産に買ってきました!

私は、ホヤが苦手なので、その場で女川で獲れた牡蠣1個100円をその場でペロリ!

うんとね。。。おいしかった~~~!本当においしかった~~よ~~!100円安くない!?
さて、そこから向かったのが、大川小学校。気になっていたんです。
全校生徒7割の生徒74人も流された学校。。私が折り紙のボランティアで行ったときの
おばあちゃんの話がが忘れられなくて。。。「早く山に登れば助かったのに・・・」
おばあちゃんが泣きながら話してくれた、、お孫さんの学校。。
写真には、収められませんでした。たくさんの悲しみがその土地を支配していました。
この学校は沿岸にないんですよ。。川からの逆流の津波。その場所に行って思ったけど、、、
津波が来ると思えない場所でした。
どちらかというと山なんです。海は見えません。危機意識が低かったと
新聞に書いていましたが、この小学校が避難場所と指定されるのも分かる気がします。
そんな場所に、、、思いも寄らない津波が来てしまった。。。
大川小学校の校庭から、キラキラの子供たちの声であふれていたんだろうに。
一瞬でその夢も希望もなくなってしまった・・・その土地で私は言葉も出ませんでした。
そして、最後に訪れたのが「追分温泉」!
震災直後、たった1軒屋のこの温泉にたくさんの被災者が集まったきたそうです。
ほとんど木で作られたここは、とてもぬくもりがある場所でした。

帰りの、車の中でつかさ君が
「まりこさん。来年は、気仙沼に行きましょう!」
ありがとう。つかさ。。また一緒に行こう!君のおかげで私も振り返ることができるよ。
忘れちゃいけないこと、伝えなきゃいけないこと。。
自分のできることを少しづつしていこう・・と思ったまりちゃんでした。
by:顔の丸い まりちゃん
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